
江戸期には市中に饅頭や団子、飴などを商う出店や屋台が並び、独特の口上や衣装、踊りで庶民の注目を集めた飴売り等の行商人が行き交い、巷で菓子が親しまれるようになる。それに目黒不動尊門前に店を構えた桐屋の目黒飴、向島隅田川堤の桜餅など名物菓子が誕生したのもこの時代。
次は、江戸後期から末期の京都や大坂、江戸の住まいや生業、風俗などの違いを記録し解説された「守貞謾稿」(江戸末期、喜田川季荘・守貞著、国立国会図書館所蔵)。
同書には、町の治安維持のため木戸脇に設けられた「番小屋」には番太郎と呼ばれた番人が家族で生活しており、副業として蝋燭や草履、鼻紙等のほか、焼き芋や一つ4文麁菓子(駄菓子)も売られていた(当時蕎麦一杯が16文)。その麁菓子のことを“番太郎菓子”とも呼ばれた。

そして、子供の遊びをテーマとした絵「菓子所」(天明期・1781〜89頃、公文教育研究会所蔵)で、背後には野菜の砂糖漬けや干菓子が陳列された店先が描かれている。

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