ミュージアム巡り CB風雲児_蔦重 遊女と燕図

遊女と燕図

 次は、「遊女と燕図」(天明期・1781〜89、四方赤良・大田南畝賛/勝川春章筆、一幅、絹本着色、縦117.6×横32.5cm)で、吉原の遊女が毎年同時期に訪れる燕の鳴き声を聞き、立ち止まり物思いにふける図。

 遊女は当時流行の灯籠鬢に立兵庫髷を結い龜甲櫛に硝子簪を挿している。金泥を用いた着物の模様、背景の細密描写は春章の真骨頂。

 賛は大田南畝が四方赤良と名乗った頃のもの。

 年々歳々

 花街の春相似たり

 歳々年々

 馴染みの客同からす

 かえりてはくらわの燕いく春か

 身のをいらんもいさしりんせむ

    四方赤良 寝 惚

 

達磨と遊女図

 続いて、「達磨と遊女図」(享和3年・1803、四方赤良・大田南畝賛、勝川春好筆、一幅、絹本着色、縦94.5×38cm)で、座禅をする達磨に背後から、からかうように払子で頭をなでる遊女の図。不意を突かれた達磨は、集中を切らしたのか目が泳いでいる。

 さて古来、達磨大師といえば中国・崇山にある少林寺に籠もり、壁に向かって9年間座禅を続け悟りを開いた逸話がある。そのため忍耐強く努力することを“面壁九年”と言われる。

 これに対して、遊女の年季奉公は10年で“苦界十年”といわれ、達磨と遊女の取り合わせは好んで画題で登場する。

 春好は勝川春章の門人で、早くから役者絵で活躍した浮世絵師。細判役者絵から役者大首絵を手がけ役者絵界に新風をもたらす。しかし、寛政期中頃に中風を患い右手が不自由となり、以降は左筆に転じる。

 賛は大田南畝で、天明末期に廃した号・四方赤良を再び使用している。

 拈華微笑の床花は

 正法眼蔵の帯とかせ

 教外別伝の正伝節ハ

 文字太夫が流を不立

 蘆の一葉の猪牙に乗て

 九年面壁のゐつつけとは

 汝か尻のくされ縁か

 金かふんたんたるまなるか

 からから喝

   前大徳利 四方赤良和南

TNM(台東区上野公園13-9)

ミュージアム巡り 水心子・江戸三作 七十二翁 天秀

七十二翁 天秀

 続いて、刀銘「七十二翁 天秀(刻印) 文政三遠八月日」(製作年:1820年、長さ:69.8cm)。

 正秀はこの作の前年から“天秀”に改名し、最終年紀作まで4年を残した段階での一口。この刃の刃文も小丁子を主体に角かかった刃や尖り刃を交え、まさしく本工の特長は歴然。

 この“七十二”は、実年齢と齟齬をきたしているものの、これは“喜老癖”といって長寿を喜び加算されたものと斯界では受け取られており、弟子の直胤にも同様の作が確認されている。

touken(墨田区横綱1-12-9)

ミュージアム巡り CB風雲児_蔦重 遊女道中図

遊女道中図

 次は、「遊女道中図」(安永期・1772〜81末期、蜀山人大田南畝賛/磯田湖龍斎筆、一幅、絹本着色、縦94.2×横36.1cm)で、逆S字型の歩行姿の遊女が禿を引き連れて道中する湖龍斎が得意とした構図。

 湖龍斎は、明和期に鈴木春信風の錦絵を描き、安永期には美人画を確立した浮世絵師で、法橋に叙せられてからは肉筆画を中心に活動。

 上部の賛は後賛で、大田南畝蜀山人と名乗った享和元年(1801)以降に書き加えられたと推定。

 まことはうその皮うそは

 まことのほねまよへはうそも

 まこととまりさとれはまことも

 うそとなるうそとまことの

 中の町まよふもよし原さとるもよし原

 けいせいのまこともうそも有磯海の

 はまの真砂の客の数々

TNM(台東区上野公園13-9)

ミュージアム巡り 水心子・江戸三作 水心子正秀・文政元年八月日

水心子正秀・文政元年八月日

 続いて大小で、刀銘「水心子正秀(花押)(刻印)文政元年八月日」、脇差・銘「水心子正秀(刻印)文化十五年二月日」(製作年:1818年、長さ大:68.5cm、小:43.6cm)。

水心子正秀・文政元年八月日_小

 この両作は年号が異なるものの、文化15年(1818)は文政に改元する年にあたって同年作であり、作風や彫物配置、その彫物はともに表の櫃中に“波に龍神”を彫り込んだ同じ画題であることから大小として承認。

大_小

 秀正特有の丁子乱れは幾種類かの刃紋で構成されて不規則に変化し、晩年期(当時69歳)といえども技量の衰えをいささかも感じさせない出来だ。

touken(墨田区横綱1-12-9)

ミュージアム巡り CB風雲児_蔦重 新吉原春景図屏風

新吉原春景図屏風

 続いて、「新吉原春景図屏風」(天明後期〜寛政前期・1781〜1801頃、歌川豊春筆、六曲一隻、紙本着色、縦93.6×横257.4cm)で、遠近法が取り入られ野外風景を俯瞰する江戸名所絵。吉原を南東側から見て、大門、仲通り、ハイレベルな七軒茶屋、江戸町一丁目が鳥瞰されたもので、夜桜を見物している。

 吉原の桜は開花する時期だけ移植され、花見が終わると抜き去ってしまう。絵の構図から茶屋暖簾に「巴屋」とあるものの、実際には江戸二丁目にある店で、これは意図的に描かれ茶屋や遊女屋のプロモーションとして製作されたと推定される。

TNM(台東区上野公園13-9)

ミュージアム 水心子・江戸三作展 六十八翁水心子正秀淬刃

六十八翁水心子正秀淬刃

 墨田区にある刀剣博物館で、江戸三作 正秀・直胤・清麿展の後期展示(2025/4/15〜)へ伺った。

 安永年間(1772〜81)から幕末に至るまで作刀された「新々刀」と呼ばれ、その祖と位置づけされる水心子正秀。正秀はいわゆる“復古刀”論を提唱したことにより、国内各地から百名以上の門弟が集結し、その指導書である「剣工秘伝志」や「刀剣実用論」などを著して多くの刀工に影響を与えている。

六十八翁水心子正秀淬刃_小

 続いて、刀「六十八翁水心子正秀淬刃(刻印) 文化十四年八月日 水寒子貞秀鍛之」、

大_小

脇差し「六十八翁正秀渡焼刃(刻印)文化十四年八月日 水寒子貞秀鍛之」(製作年:1817年、長さ大:79.9cm、小:45.2cm)。

 正秀作の大小として現存するものは希少で、同作は銘文・彫物からとても貴重な逸品。子の貞秀が鍛錬して、正秀が焼入れしたことが銘じられ、濃厚な彫物に加え、正秀特有の小丁子乱れを焼き入れている。

 そして、「黒蠟色鞘大小拵」(製作年:1841年)で、大が刀「山浦環正行造之 為張助太郎至治 天保十二年八月吉日」、小が脇差「山浦環正行造之 為張助太郎至治 天保十二年八月吉日」。

 同時代に製作された大小拵が附帯することにより、その価値は一層、高められる。

touken(墨田区横綱1-12-9)

塩哲 Weekdayの麺処巡り 竹祥 で 昆布水つけ麺

貝出汁昆布水つけ麺

 ちょっと、吉祥寺にお買い物。その後、吉祥寺本町1丁目の「貝出汁中華そば 竹祥」(2020年10月9日創業)へ。

竹祥

 店頭に着くと期間限定のメニュー「昆布出汁 昆布水つけ麺」が貼り出してあった。では、それの特製麺大盛り1,550円を頂こう。

限定メニュー

 登場した器には、三河製麺の全粒粉特注麺が昆布水の中で浸り、それぞれの具も彩り豊かで食慾をそそる。つけ汁は熱々で登場し、ブラウン色の染まっているが、塩気のある旨味が伝わってくる。

 大盛りの麺なので、まずは昆布水に浸された麺を啜る。旨い。つけ汁につけると貝出汁と昆布出汁が混じり合って、さらに旨味が昇華していく。美味しく頂いた、ご馳走様。

 

貝出汁中華そば 竹祥

11:30〜15:30、17:30〜21:00 第2&4月曜日