ミュージアム巡り 水心子・江戸三作 大慶荘司直胤

 

大慶荘司直胤

 

 続いて、刀・銘「(三日月文)大慶荘司直胤(花押)文化八年中秋」(製造年:1810年、長さ:67cm)。

 直胤による備前伝の大半は、鎌倉時代末期の長船景光や兼光に私淑したと考えられる片落ち風の互の目を主体にし、本作には腰の開いた互の目が目立ち、室町時代初期の“応永備前”の作域を狙ったものとみられる。

 処どころに刃文の頭が地に煙り込んで映りに繋がるところは、本工の元の焼出しにうるみを見せる点などに水心子一門のカラーが見て取れる。

touken(墨田区横綱1-12-9)

ミュージアム巡り ハニワと土偶 涙を流す顔

 

涙を流す顔

 

 続いて、吉原治良の「涙を流す顔」(1949年)。

 戦前に抽象表現を進めていた吉原治良は、戦後に少女や鳥が登場する具象画を描く。その頃、吉原は埴輪と土偶の素朴さに古安心を寄せていた。

 様々な土偶をスケッチした画帳が残されており、これには土偶の顔が次第にデフォルメされ、新たな要素が加わって作品化に進められる。本作も土偶がもとになっていると推定される。

塩哲 Weekdayの麺処巡り 麺亭 英 で 特製つけ麺

 

特製つけ麺

 

 本日(7月22日)、練馬区東大泉2丁目にオープンした「麺亭 英」へ。こちらは三鷹の「健やか」店長の麺処。

 店内はL字カウンターで広く、カウンターと椅子の間隔が程良く座り心地もバツグン。厨房奥には製麺スペースもあり、現在はつけ麺一本のメニューだが、今後は品数も多くなりそうだ。

 カウンターにあるQRコードからオーダーするシステムで、「特製つけ麺」2,000円を頂きます。

 昆布水に浸された麺に鶏と貝出汁のつけ汁、器の縁には粗塩や酢橘も添えられ、食するのも好き好き。美味しく頂いた、ご馳走様。

 

麺亭 英

練馬区東大泉2−9−8

11:00〜15:00 月・木曜定休日

ミュージアム巡り 水心子・江戸三作 大慶直胤

 

大慶直胤

 

 次は、脇差・銘「大慶直胤 於東都神田作之」(製作年:1804年、長さ:46cm)。

 大慶直胤は、安永7年(1778)に出羽国山形二生まれ、本名を庄司(荘司)箕兵衛と称子、大慶と号する。文政4年(1821)頃に筑前大掾を受領し、嘉永元年(1848)に京に上り“美濃介”に転じる。

 さらに江戸に出て水心子正秀の門に入り、後に使徒同様、山形藩主・秋元候に仕え水心子門下の逸材となる。入門の時期は明らかでないものの、23歳時の最初期の作刀に“庄司直胤 寛政十三年正月日”の銘があることから、20歳頃の寛政10年前後とされ、文化初年(1804)頃には独立したと推定。

 その作風は五ヶ伝(大和・山城・備前・相州・美濃)を巧に熟し、高い美術性や備前伝と相州伝の相似から、同門下の筆頭格と評価されている。

 さらに生涯を通じて各地で駐槌し、愛知、茨城、鳥羽、賀奈川、静岡、長野、三重、京都、大坂、岡山などで確認され、70歳を超えてから4年間に及ぶ長期工程もみえる。そこには材料の鉄研究等絶え間ない向上心を根底に、広い交流と人望、作品ヘの高評価が現れていると言える。

 安政4年(1857)5月27日、79歳で殉死するまで半世紀以上の長い作刀期間を数え、その技量誉れ高く、正秀を凌駕した名声により、新々刀期の名工刀匠と呼ばれる。

 この脇差は、年紀こそないものの書体から文化元年(1804)頃と目されている。この年に直胤は神田に居を構え、約7年同地で作刀。“神田”を銘文中に入れた作は、現在本作以外には確認されていない。

 作風は大互の目乱れで江戸時代前期の大坂新刀、津田越前守助広の濤瀾乱れを狙っており、師・正秀の影響が明らかな一口。

touken(墨田区横綱1-12-9)

ミュージアム巡りハニワと土偶 盾を持った武士

 

楯を持った武士

 

 続いて、三岸節子の「盾を持った武士」(1956年)。

 三岸はルーブル美術館でひっそりと展示されている中近東の素焼きを見つけ、帰国後自分のアトリエに国籍問わずに素朴な温かいものを収集する。

 西洋による原始美術の発見をなぞるように、埴輪を発見したのだ。花田清輝から“インターナショナルな観点からナショナルなものを眺めようとする視野”、“マチスやボナールの延長線上でとらえられた日本の古代土偶”と評されている。

収集作品群

 そして、三岸の書「はにわ」や収集した作品群。

ミュージアム巡り 水心子・江戸三作 七十二翁 天秀

 

七十二翁 天秀

 

 続いて、刀・銘「七十二翁 天秀(刻印)文政三年八月日」(製作年:1820年、長さ:69.8cm)。

 正秀はこの作の前年から「天秀」に解明し、最終年紀作まで4年を残した段階での一口。この刃の刃文も小丁子を主体に、角がかった刃や尖り刃を交えた特徴を表している。

 なお、銘文の“七十二”は実年齢と齟齬をきたしているが、“喜老癖”といって長寿を喜び加算したものと斯界では受け取られ、弟子の直胤にも同様の蹟が確認されている。

touken(墨田区横綱1-12-9)

ミュージアム巡り ハニワと土偶 土偶

 

土偶_2点

 

 作品が続く。まず長谷川三郎の2点「土偶」(どちらも1948年)。そして、同じく長谷川の「湖のほとりにて(1)」(1948年)。

湖のほとりにて(1)

 次は、無類の古美術愛好家・鳥海青児の「はにわ」(1959年)で、埴輪や壺などの収集品を描き、土の素材感を絵のマチエールに生かしている。日本固有のものの中に世界性を探すというテーマで、日本の“土”を捉えている。

はにわ

 ここでは砂を混ぜた渋い黄色の絵の具が、厚く塗り重ねられている。彫刻用の台座がついた埴輪は、モダンな居室を飾るインテリアとして画中に登場。