続いて、清水登之の「難民群」(1941年)で、1937年12月の南京陥落の際、自ら難民居住区に足を運び、難民をテーマに幾度も描いた作品。
焼け出された被災民の身体は抽象化され、うつろな眼の群れとして描かれている。頭上に平たい皿樹のものを載せ。片手に皿を捧げ持つ人物が供物を捧げる巫女埴輪に似ている。
清水は前年、比婆山神陵顕彰会委嘱としてイザナミ命を祀る比婆山を描き、同会主催の展覧会で約50作品が考古遺物とともに展示されている。
そして、後藤守一の「少国民選書 埴輪の話」(1944年1月)は、平明な口語体で書かれた戦時教養書。この中で後藤は子供たちに、“埴輪の顔をみることです”等々と呼びかけている。埴輪を日本人の理想として軍国教育にも使役されている。
また、石井船亭の「美術の戦」(1943年6月)。