ミュージアム巡り 暮らしの中のお菓子 延喜式・大膳下

 昔のお菓子は、天皇や貴族、武家など上流階級の食事や神饌とされた食べ物で、時代の経過とともに点心や南蛮菓子などが取り入れられ、庶民にも口にできるようになった。

 江戸時代後期になると貿易の拠点・長崎の出島など限られたところで食べられていた洋菓子が、文明開化の明治期に各地に広まり、日本国内の郷土菓子文化に影響を与える。さらに製作工程の機械化により菓子の大量生産がスタートすると、より多くの人々がお菓子を味わう文化が普及する。

 そんな日本における菓子文化の移り変わりや、年中行事から祭礼の様子が描かれた浮世絵、菓子型下絵帳、菓子木型などから行事食として作られたものから季節の風物を表現したものまで多様化がみられた。

 江戸期の買い物案内所から明治期以降の菓子広告など、港区立郷土歴史館(MCLHM)で「暮らしの中のお菓子展」(2025/10/18〜12/14)が展示されていた。

 まずは「延喜式・巻三十三 大膳下」(享保8年・1723、藤原忠平ら編、延喜5年・905の原本の写し、東北大学附属図書館所蔵)で、律令の施行細則がまとめられた法典の内、朝廷で饗宴の食事や配膳担当する大膳識に関することが記されている。

 本書頁・造雑物法には、当時の甘味料である糖(飴)の製法が記され、

“糯米1石(180kg)と萌小麦(麦芽)2斗(36kg)で、糖3斗7升(66.6kg)が得られる”とのこと。

MCLHM(港区白金台4-6-2)