
寛政年間、大田南畝が浮世絵師の伝記をまとめて以降、各諸氏が追記していった「浮世絵類孝」に、“歌舞伎役者の似顔絵をうつせしが、あまりに真を画かんとてあらぬさまにかきなさせしかば、長く世に行われず、一両年にして止む”とある。
南畝の写楽評は、役者の“あらぬさま”つまりが、欠点までも写しだしてしまったことで、生きが長く続かなかったと解釈している。
写楽は役者の見たままを描こうとしていたのであり、そのリアリズムを解釈するカギが平賀源内の「西洋婦人図」で、衣服の輪郭線下部分を塗り残しており、これが中世以来の西洋油彩画描写方法で、人体と背景の境界を表す技法。写楽も同じように演者の衣装や顔の輪郭を背景の黒雲母刷とグレーの主線で表現しようとしている。
続いて、「市川蝦蔵の竹村定之進」(寛政6年・1794、版元:蔦屋重三郎、東洲斎写楽筆、1枚、大判錦絵、縦37.7×横25.2cm)と「四代目岩井半四郎の乳人重の井」(寛政6年・1794、版元:蔦屋重三郎、東洲斎写楽筆、1枚、大判錦絵、縦37.5×横24cm)。

TNM(台東区上野公園13-9)