
次も同じく「当時全盛美女揃 瀧川」(寛政6年・1794、版元:若狭屋与市、喜多川歌麿筆、1枚、大判錦絵、縦37.9×横25.4cm)と「当時全盛美女揃 丁子屋内雛鶴 つる治 つる野」(寛政6年・1794、版元:若狭屋与市、喜多川歌麿筆、1枚、大判錦絵、縦37.8×横24.7cm)。若狭屋与市より出版された10枚揃。
「瀧川」は、江戸町一丁目扇屋右衛門お抱えの呼び出し・瀧川で、鬢が崩れないように元結でくくっているため、客前ではなく支度中か休憩中の姿と思われる。禿の名が入らないことからシリーズ後半に出版されたと推定。

「丁子屋〜」の雛鶴は、同じく江戸町一丁目丁子屋長重郎お抱えの呼び出し。本作には団扇の骨の表現に空摺技法が見られる。
若狭屋与市は、芝神明前三島町で商いした版元で、寛政以降の営業活動のため蔦麿作品が最初の商売だと思われる。その後、「若林堂」と号して歌川広重の花鳥画シリーズや、歌川国芳の「二十四孝童子鑑」などを手がけ、江戸後期から明治にかけて地本問屋として活躍。
TNM(台東区上野公園13-9)