
次は、「名所江戸百景 請地 秋葉の境内」(安政4年・1857、歌川広重画、版元:魚屋栄吉、大判錦絵)で、請地村の秋葉権現が描かれているが、本題が権現本社ではなく境内の池と楓、松になっている。紅葉の時期が描かれ、紅葉が黒ずんで見えるのは摺りに使われた丹が焼けたため。

広重の辞世 “東路に筆をのこして旅の空 にしのみくにのなところを見む”と、広重像を入れた石碑であったことが判る。第二次世界大戦の空襲で破壊され、現在は石碑は残っていない。

当時、両国橋と吾妻橋の間には橋が架かっていなく、御厩河岸と東岸の本所を繋ぐ渡があった。本図の左側に渡船が見え、船上に二人の夜鷹が乗っており浅草方面に向かったのだろう。
この女性達が描かれたことで時間は日暮れの頃とわかり、手前が西岸と対岸に見える橋が本所の石原橋。二人の夜鷹の後ろにいる人物は、妓夫(ぎゅう)と呼ばれた男で夜鷹に付き添い客の呼び込みもした。
(墨田区tabashio横川1-16-3)