
続いて、「吾妻曲狂歌文庫」(天明6年・1786正月、版元:蔦屋重三郎、宿屋飯盛撰・北尾政演“山東京伝”画、1冊、彩色摺大本、縦27.2×横18.2cm)と、「古今狂歌袋」(天明7年・1787、版元:蔦屋重三郎、宿屋飯盛撰・北尾政演“山東京伝”画、1冊、彩色摺大本、縦25.6×横17.6cm)。どちらも天明期の狂歌流行を示し、狂歌と狂歌師肖像画を合わせて載せられた狂歌集。
掲載場面の南畝の歌は、“あなうなぎ いづくの山のいもとせを さかれて後に 身をこがすとは”とあり、発想元は恋に憂う歌で、“あな憂”ではなく“穴鰻”。また、“妹”と“背”とを“山の芋”に紛れさせ、恋に身を焦がすはずが、鰻を焼いて焦がしてしまっている。

そして、「古今狂歌袋」は序文に南畝が、跋文を平秩東作が寄せている。その後に朱楽菅江、手柄岡持“朋誠堂喜三二”が祝辞を述べ、100人の狂歌師の歌と肖像が掲載され、その中には既に歿している荒木田守武や半井卜養も入る。
TNM(台東区上野公園13-9)