南畝は将軍の警護を行う徒の家に生まれた御家人。いわゆる下級武士であったが、寛政6年(1794)に始まる学問吟味試験で高成績を収め支配勘定へと出世し、幕臣として勤める。また、幼い頃より文藝を志し漢詩や狂歌、洒落本などの戯作へと才能を開花する。
蔦重とは安永10年(1781)、絵双紙評判記「菊寿草」で蔦重版を評価したことがきっかけで交流は始まる。これをきっかけに、蔦重が南畝の著作を出版し天明期の出版会を盛り上げる。
天明の四方赤良
文化の蜀山人
鏡にて見しりこしなる此親父
おめにかかるも久しぶりなり
年もはやすでに日本の国の数
なを万国の図をひらかむ
甲戌秋日書于緇林楼中
TNM(台東区上野公園13-9)
