ミュージアム巡り 隅田川の名所 江戸名所百人一首

江戸名所百人一首

 続いて、木母寺が描かれた図「江戸名所百人一首」(享保年間・1716〜36頃、近藤清治画、版元:ひらのや、縦17.5×横12.9cm)で、江戸名所の神社仏閣が取り上げられ、小倉百人一首をもじった狂歌が添えられている。

 木母寺では“すミだ川”と題して、同寺が隅田川を代表する名所であったことを示している。人々は“印の柳だの”、“これが梅若の墓か”と会話しながら拝んでいる。

絵本江戸土産

 さらに、「絵本江戸土産」(安永8年・1779、西村重長画、版元:菊屋安兵衛、縦23.3×横16.1cm)で、“隅田川の柳”と描かれたのは梅若丸の墓。

 木母寺は隅田川のほとりで命を落とした梅若丸を弔うために築かれた寺院。梅若丸は吉田少将惟房の遺児で、父の没後、比叡山・月林寺に入り稚児として修行を積む。優秀な業務を熟し賞賛されるものの、別門の法師に妬まれ脱走し琵琶湖のほとりで人買いに捕らえられる。

 梅若丸は人買いに惹かれて奥州へ向かう途中、隅田川のほとりで衰弱し、土地民の看病もむなしく貞観元年(976)3月15日、12歳の若さで絶命。これを哀れんだ高僧が亡骸を葬り塚を築いて印として柳を植えた。

 その後、梅若丸を探す母が訪れ、ここで命を落とした我が子と知る。母は高僧に頼み、この地に梅若丸の菩提を弔う寺を建立してもらう。寺号は梅若寺から慶長12年(1607)に木母寺に偏号された。

 謡曲隅田川は梅若伝説をもとにしており、人形浄瑠璃や歌舞伎の隅田川ものが制作されている。

tabashio(墨田区横川1-16-3)